猫って人の言葉が解るの?

猫って人の言葉が解るのでしょうか?

13年9ケ月一緒だったブチ猫が死亡しました。
じん不全でした。
名前はパンダ・・・白と黒の子猫に即、思い浮かびました。
地域猫のミーちゃんはグレーの子、目の青いメス猫ちゃん。
その子が2000年9月に子供を産みました。
その中の一匹がパンダでした。
飼い方に問題があったのか、元気がないので病院に…
診断の結果、腎臓がダメになっているとの事でした。
人間なら人口透析が必要なほどの重症でした。
毎日、病院に連れて行って点滴を続けました。
金曜日は、その病院はお休みです。
不安が的中しました。
点滴が生命線のパンダは翌日に急変して虫の息に―。
その子をなでながら励ます言葉にパンダは涙を流して
確かに答えてくれていました。
どんな思いで逝ったのでしょうか。とても気になります。

所沢市 さとう・Y

 

ジョリーの急死に呆然

 何が原因なのか分かりません。
朝方、ボーダーコリーのジョリーが息途絶えていました。

 いままで何の変化もなく元気そのものでしたのでビックリ!
ショックで涙も出ない状態です。
 息子がジョリーの仕えるべき唯一の主人だったようです。
あとは、私も含め、みな自分より格下の存在だったのでしょう。
気に入らないと、家族でも噛んでしまう困った子でした。
 甘やかしてしまった結果と悔いる事しばしばでしたが、
それでもやはり可愛さが上回って、許してしまいます。
 困った、と、可愛さを天秤にかけると、可愛さが勝るジョリーでした。
ご迷惑をおかけした、みな様には心よりお詫び致します。

ジョリーありがとう まだ信じられない思いでいるよ。
 
狭山市 M.K  26.7.6





 

アメリカ生まれのクレア

 米国生まれのクレア(女の子)は26年6月10日に17才で静か逝きました。
私がアメリカのウイスコン州に留学している時に、出合った猫ちゃんでした。
向こうでは、はじめは寮に入ったのですが、じきに部屋を借りて自活というコースをみな取ります。
一人になると淋しくてパートナーが欲しくなり、そのお相手に選んだのがこの黒猫クレアちゃん
だったのです。ペルシャ系のおとなしい、クレアは猫ジャラシにも反応しないつまらない猫でした。
ネズミ系の動物にもビビってしまうとても変な猫でした。きみは本当に猫なの・・・?と、思った
ものでした。
 魚を食べる習わしのないクレアは、日本に来てもテーブル上の魚など見向きもしません。
寝ることと、食べることが大好きな、大人しい私のアメリカ生活をすべて知っているクレア。
いままで色々ありがとう。 さようなら―。
 
所沢市 A.I

悲しいよ‼ でもありがとう。

 こんなに別れがつらいものとは思いませんでした。
15才4ヶ月のミニダックスが5月13日に息を引き取りました。
 
 2才のときに大病にかかり、獣医師もお手上げ状態でした。
本人の生命力でしょうね。「九死に一生を得る」という言葉
の通り、危篤状態から見事に蘇生し医者をおどろかせました。
それからは全く医者いらず。飼い主孝行で楽しませてくれました。

 この頃では目も見えなくなって、動きもゆったりしてきて
もしもの時が頭をかすめる事もありました。その度に縁起でもない!
そう、頭を振って必死にかき消してきました。
 でも、生きているものは必ず老いていつかは亡くなる。 
夜の9時40分に安らかに息を引き取りました。愛する大きなものを
失った悲しさが津波のように襲いかけてきました。
 野菜、果物、そして抱っこが大好きな子でした。
 ゆっくりおやすみ、とても楽しませてもらえたよ。

所沢市 「のあ」のパパとママ

涙の毎日を…

 三月十一日には、音々(ネネ)の荼毘でお世話になりました。
毎日、毎日 小さく小さくなった遺骨に声をかけ、手を合わせ
涙する日々が続いております。 音々のハウスもベット、ウェアーも
そのまま、あたかもそこにいるようです。 癒やす薬は、そちらの手紙にも
ありましたように時間しかないのだと思います。
 私ども家族は長い年月共に生活し、しあわせを沢山、たくさんもらいました。
それだけにとても寂しいです。 そちらでの最後の旅立ちのやりかたにとても
安心と、やすらぎを感じさせられました。家族もみな感謝しております。
ありがとうございました。 お彼岸もあけ、桜のニュースも耳にするころとなりました。
時節柄くれぐれもご自愛くださいますように (以下略)
 
太郎ちゃん物語を読み またまた涙なみだでした。
生き抜くことの素晴らしさ、目が見ずとも、ここまで
出来る猫の太郎ちゃんに頭が下がります。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

入間市 O
 
 
 

よっ‼ イケメンくん・・・

 それは四年ほど前になりますか…
仕事に出かけるときに美人系のチンチラ猫ちゃんが玄関のところにいました。
何か声をかけたような気がしますが、私はそのまま家をあとにしました。
 介護関係の仕事を終えて、クッタクタで戻った玄関わきにあの美人ちゃまが…
「どうしたの? おうちに帰りなさい! おうちの人みな心配しているよ。」 
そんな呼びかけに「待ってたの」と言わんばかりの仕草で寄ってきました。
帰る様子もなく、頭を私の足にすり付けてきたりとお友だち感覚でした。
行くところがないのならと部屋に入れて猫ジャラシで遊んであげますが、
まったくのってこないつまらない変な猫! そう思っていました。
女の子と思っていたもので名前は “ルナ”と付けました。
ところが男の子であることが分かって途中から “ルナヲ”と改名???
どうも元気がなく心配して動物病院に連れていって診てもらったところ、
じん不全の末期との事に耳を疑いました。猫ジャラシに反応しないのも、
うなづける気がしました。 点滴投与をしながら介護をしました。
注射の針を打たれる事にもいやが訳でもなく、そばにきて進んで治療を
受ける猫でした。若いと思っていた “ルナヲ”は獣医さんのいう事には
何とも15才位と、顔に似合わずお爺さん猫でした。
26年3月20日22:15分に穏やかな顔で逝きました。
四年の短い家族でしたが、もっと早く、私が病気に気が付いてやれなかった
ものかと悔しい思いでおります。 ごめんね “ルナヲ” 安らかにー。
 
 東村山 K         
 6854 



 
 

心の風穴をなめてくれたジジ

 数年前に首輪をつけたチャトラちゃんが私の後にずっとついて来て離れません。
どうやら捨てられた子のようでした。 体調がすぐれない様子に動物病院に連れて行って
ビックリしました。内臓がのどの近くまで移動していて獣医さんも「こんなの見たことない!」 
そう声をあげるほど。さらに「生きているのが不思議」とまで「心無い人にお腹を蹴られたか
何かの原因でしょう」との事で、我が家でお世話をすることになりました。その子が妊娠して
どこかで子猫を産んだようです。しばらくして黒い子猫をつれて来て、色々なことを躾して、
「この子を頼む」と言わんばかりの“あいさつ”を残してチャトラは姿を消しました。 
 
 その黒い子猫にジジと名付けました。
私はこのころ、色々な事情を抱えて、いまにも押しつぶされそうな思いの日々を送っていました。
ジジはそんな私をいつも支えてくれる存在でした。夜など布団に入っても様々な心配ごとが思い
乱れて一睡も出来ないことも常でした。しかし、ジジが来てから、私の布団のかたわらに入って
一緒に寝るようになってから、麻酔を打たれたようにグッスリ寝られるようになっていました。
私に反発的な家人や友人たちには決してジジは抱かれる事などありませんでした。 私の無二の
友の二人だけには、ゴロンと寝転んでは、お腹を上にして撫でてなでてと甘えて見せました。
そんなジジは「あなたの守護神だね」と、知人たちは言ってくれていました。
この子、ジジに、私の“心の風穴”をふさいでもらっているんだと、しみじみ感謝でした。
そして気が付けばギクシャクしていた家族の和も修復されていい感じになっていました。
 
 幸せって永く続かないものですね!
ジジが我が家にはじめて来た日は1月2日でした。 私に2年余に渡り、幸せをくれ続けたジジは
1月2日に車に跳ねられて短い命を閉じました。 片目が飛び出し無残な姿で路上に横たわって
いました。完全に死亡しているジジを近所の方が見つけて「ジジ」と呼びかけたら、あり得ない
事が・・・片手を空に向けて上げたとのことー。 私が知らせで駆けつけたときのジジは、歯を
くいしばって声を発しないようにしたんだと思いました。 事故のとき悲鳴をあげたら誰かが
気づき、見慣れた人ならすぐに知らせを受けたかもしれません。 ジジは私に心配と負担をかけ
ないために歯を食いしばって一人で逝ったんでしょう。

所沢市 O  


   

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